最高裁判所大法廷 昭和25年(れ)622号 判決 1951年8月01日
主文
原判決を破棄する。
本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。
理由
弁護人大道寺慶男の上告趣意第一点について。
原判決が判示事実を認定する証拠としていずれも被告人の自白を内容としたところの司法警察官及び検事の各聴取書を挙示していることは所論のとおりである。
しかして以下記録に徴するのに、被告人はすでに第一審の公判において司法警察官及び検事の取調を難じ、右の自白が警察官の強制若しくは拷問等によるものである旨主張している。即ち栗田弁護人の被告人に対する問「警察の取調では暴行を受けたのか。」答「はい、取調は毎日あり、遅いときは夜中の二時頃までもやられました。その間私が知らんと申しますと巡査は殴る蹴るの暴行を加え又或る時は私の頭の毛を引張って机の上に頭をコツンコツンと押しつけたことも度々でありました。それでも私は本当にやったことがないのですから否認しますと、貴様のような奴は裏の道場へ連れて行って殴ってやると申したこともあります。斯様な乱暴なことは多く夕食後夜間にされたのです。私は左様な厳重な取調で体が綿のように疲れとてもかないませんから嘘の事でもよいから申し上げてこの苦しみを免れようという考へになり嘘の自白をしますと前提して都竹司法主任に自分が浄一を殺したように申したのです。しかし私が本当にやったことではないので十分なことが言えませんから想像したり、又判らぬところは先方に教えられたりして漸く調書を作って貰いました。」問「その外警察では非道い取扱いをせなかったか。」答「私の家から差入れてきました弁当さへ食べさせてくれなかったこともあります。私はやって居りませんから知らんと申しますと、貴様は何と剛情な太い奴だ、よい加減に白状したらどうかというような押問答が毎日続いたのです。いつまで経ってもそんな事ばかりでらちがあかず一方前途のように暴行によって、体は衰弱してきて堪へられませんから裁判所へ回して貰って事実のことを申し上げて裁判を受けるより仕方がないというような考えになったのです。」問「検事には本当のことを言へばよかったのではないか。」答「検事さんの取調は高富警察署で行はれたのですから私は警察通りに言はねば又制裁をうけることになると思ひましたので同様に申し上げたのです。」問「警察において、被告は自殺しかけたことがあったか。」答「ありました。余りのことに堪へられず嘘の自白をしましたが、村人や消防団に対して申訳なくもう村へ帰ることもできないので、便所へ行った帰りに炊事場へかけ込みそこにあった庖丁を持って咽喉を突かうとしましたが、先が折れ巡査にすぐ取上げられてしまって目的を達することができませんでした。」山田弁護人の被告人に対する問「毎晩いつまで取調をうけたか。」答「遅い時は二時頃(午前二時頃の意か)早いときでも十一時頃(午後十一時の意か)まで取調べられました。」との問答が現われている。第一審裁判所は職権をもって第二回公判に当時の警察署の司法主任であった都竹市郎を、また弁護人の申請によって第三回公判に巡査丹羽勝衛を証人として喚問し被告人の右主張が真実であるかどうかの取調をしている(もっとも第一審判決は被告人に対する司法警察官の聴取書を証拠として挙示していない)。
ところで原審においても、被告人は前同様司法警察官及び検事の取調を攻撃している。第一回公判において、弁護人大道寺慶三の被告人に対する問「一一月一〇日から二〇日迄の間に差し入れてくれた弁当箱を食べさせてくれたことはあるか。」答「はい四回許りありました。」問「十日の間宿直室に座らせられたか。」答「はい、十日間正座で座らせられたことはあります。」問「被告は殴られたことがあるというが誰から殴られたのか。」答「司法主任の都竹さんに殴られました。」問「阿部静夫巡査はどうか。」答「この人は主として口の方で押へました。」問「伊藤元次巡査はどうか。」答「この人は特にひどく私の体を突いたり押したりしました。」問「高木真一巡査はどうか。」答「この方は髪の毛を引張りました。」問「為岡巡査はどうか。」答「この人は私の手にはめてあった手錠をはめたまま左右に引張ったりしました。それを見かねた島津巡査がゆるめてくれたことはありました。又何時であったか、日は忘れましたが為岡巡査はその日の午前中連続的に私の頭を机でコツンコツンと叩いたことはあります。」問「前述の様なことはどれ位あったか。」答「十日間位続きました。」問「朝始まって翌日の午前二時頃まで取調をうけたようなことはあったか。」答「はい、ありました。」問「被告は九日目に自殺しようとしたことはあったか、又死んだ方がよいと思ったかどちらか。」答「私はこの事件について警察の方に協力してきたにも拘らず私が前述のような恥辱をうけ本当に情けなく思い、こんなことなら死んだ方がよいと思い、又一層のこと死んでこれ等の人を怨もうと思いました。」問「被告は検事の取調のとき何故本当のことを申さなかったか。」答「警察の取調係官から警察で申述べたと同様なことを検事の前で申せと命令的な言葉がありましたのでそれで警察と同様なことを検事の前で申したのです。」問「検事の前で聴取書を取られている時都竹司法主任がそこの室を出入していたことはあったか。」答「はいありました」裁判長は被告人に対し問「被告はこの取調にあたって強制、脅迫、拷問の取調があるというが、原審で都竹司法主任は絶対さようなことはないというが、その点はどうか。」答「私のいうことが本当であるかどうかを怪しまれるならば当時私と同房にいた人達にそのことを訊ねて頂けばその真相が判然と致します。」との問答が現われている。
原審は職権をもっていずれも被告人の取調にあたった警察官の阿部静夫、高木真一、為岡勇、伊藤元次及び都竹市郎を、また弁護人の申請によって山崎敬一及び被告人の妻島戸和美を裁判所外に証人として喚問し、被告人の右主張が真実であるかどうかの取調をしている。
ところで以上証人尋問の結果、次のごとき供述を発見する。第一審公判において証人都竹市郎は「被告人の取調に当り、強制、拷問等を加えたことがない。」と述べてはいるが、「被告人は書食時頃警察署内炊事場にあった庖丁をもって自己の咽喉をつきかけたことがある。」ことは認め、なお裁判長との間に「余り厳重な取調をうけ堪へられないので(被告人は)自殺しようとしたというのではないか。」答「そんなことはないと思います。」問「そのような事があってから自白をするようになったのか。」答「さようであります、その日の午後の取調において自白した訳です。」という問答を交わしている。原審の証人訊問において証人為岡勇は「被告人を取調べたとき被告人に手錠をはめさせて引張ったことなくその他強制、拷問を加えたこはない。」旨述べたが、最後に裁判長の「証人等が被告人を取調べるについて被告人に手錠をはめたままであったのか。」との問に対して「さよう、はめたままでありました。」と答えている。
証人高木真一は「被告人を取調べたとき同人の頭の毛を引張ったことはなくその他強制、拷問を加えたことはない。」旨述べたが、最後に弁護人大道寺慶男の「証人は伊藤元次、為岡勇、阿部静夫の四人で被告人を取調べたことはあったか。」との問に対して「被告人が事実を自白する二、三日前に四人で取調べたことはあります。」と答えている。
証人都竹市郎は「夜十時頃から被告人を取調べはじめたことなく、家族が差入れた弁当を被告人に渡さなかったということはない。又殴ったこともない、ほかに被告人に強制、拷問などを加えたことはない。」旨述べたが、被告人の求めにより、裁判長の「被告人を警察署長が取調べた時午前二時頃まで取調べたという事実はあったか。」との問に対して「はい、ありました。」と答え、同じく「その時署長が被告人を殴ったことはあったか。」との問に対して「はい、ありました。」と答えている、右の捜査関係者の証言のほかに証人山崎敬一の供述には「私は詐欺事件で拘置所に勾留されたとき松山某と同房だった。松山はそれより前被告人と同じく警察署に留置されていたが、その際警察官が夜一〇時頃から被告人を取調べはじめたのでうるさくて眠られなかったと松山は私に申しておった。」とあり、証人島戸和美の供述には「私が警察署に留置中の被告人に弁当を差入れたのに食べないままに戻ってきたことがあった。」とある。
以上のように、本件記録中には、被告人の警察署における供述が強制若しくは拷問による自白であることを推認させるような幾多の証人の供述が存在するのである。殊に、直接、取調の衝に当った警察官自身が被告人の取調は被告人に手錠をはめたままで行われたこと、午前二時頃まで取調べたこと、警察官が四人がかりで被告人を取調べたこと、警察官の一人が被告人を殴ったことのあることを認めていることは前述のとおりである。もとより、これらの証拠をいかに判断して、被告人の警察における自白が任意にいでたのであるかどうか、従って、その自白に証拠能力があるかどうかを決定することは事実審たる原審の自由裁量に委ねられているところではあるが、その自由裁量たるや、合理的判断にもとずくものでなければならず、経験則に反するものであってはならないことは勿論である。原審は果して右のごとき警察官の証言をいかに判断したものであろうか。
本件において記録を精査しても右各供述の真実性を疑うに足りるような資料は存在しないのであるから、原審が若し右各警察官自身の以上のごとき供述を以て、措信するに足らないものとしたのであるならば、それは原審のいわれなき独断であって、経験則に反する判断といわなければならない。又、若し、真実、以上のようなことが行われたにしても、それについて何らか斟酌すべき事情があると思われるならば、原審としてこれを証拠にとる以上、その間の事情を十分に審理しなければなるまい(たとえば、被告人が自殺を企てるおそれがあって、これを阻止する必要上、やむなく、手錠をはめたまま取調をしたというような事情があったかどうかのごとき。尤も被告人が自殺を図ったことは記録上窺われるけれども、そのおそれのために特に手錠を用いたという事情は見られない)。しかるに、原審がかかる事情について、特段の審理をした形跡もない。特段の事情の斟酌すべきものもなく、以上各証人の供述するようなことが真実行われたものとするならば、かかる状況の下になされた被告人の警察における供述は、強制、拷問によるものであることを思わせる十分の理由があるものといわなければならない。要するに原審が右のごときいろいろの証人の供述があるにかかわらず、これを排斥するに足る納得すべき事由もなく、たやすく被告人の警察における供述を証拠として本件犯罪事実を認定したことは前に述べたような経験則の違反若しくは審理不尽の違法あるものと断ぜざるを得ない。そして原判決は、右被告人に対する司法警察官の聴取書を他の証拠と綜合して本件犯罪事実を認定しているのであって、右の違法は判決に影響を及ぼさないこと明かだとはいえないから、原判決はこの点において破棄を免れないのである。
よって爾余の論旨、また弁護人大道寺慶三及び被告人本人の各上告趣意に対する説明を省略し、旧刑訴四四七条、四四八条の二に従い、主文のとおり判決する。
この判決は裁判官沢田竹治郎、同井上登、同斎藤悠輔及び同岩松三郎の少数意見を除くほか、他の裁判官の一致した意見によるものである。
弁護人大道寺慶男の上告趣意第一点に対する裁判官斎藤悠輔の少数意見は次のとおりである。
原判決が証拠として、被告人に対する検事並びに司法警察官の聴取書中の供述記載を掲げたこと、並びに被告人の公判廷の陳述及び所論証人の証言中に所論摘示のごとき供述記載の存することは所論のとおりである。しかし、証拠の取捨、判断は、原裁判所の裁量に属するばかりでなく、その取捨、選択の理由のごときは、これを判決書に示さなければならないことは訴訟法上少しも要請されていないのである。従って、原判決が被告人に対する検事並びに司法警察官の聴取書中の供述記載を証拠として挙示した以上、所論摘示の被告人並びに証人の供述記載を措信しないで、却って、右被告人の聴取書中の供述記載は、強制、拷問、脅迫その他不任意にされたものでないものと認めたものといわなければならないし、そして、かく認めたことについては経験則に違背した違法等は毫も認められない。されば、所論は、結局原審の裁量を非難するに帰し適法な上告理由と認め難い。
多数説は、故ら被告人に利益な証言の一部を捉えて強いて経験則違反等を云々するものといわなければならない。なぜなら、多数説引用の証人の供述中には被告人の警察における供述が強制若しくは拷問による自白であることを推認させるようなほんの僅かばかりの供述は存在するが(しかも原判決引用の警察官ことに検事の聴取書中の供述が強制若しくは拷問によるとの直接証拠は全然存在しない。)、同時に強制若しくは拷問でないという明白な、より多数の供述も存在するのであって、そのいずれを信用するか否かは経験則の問題ではなく、全く単なる原審の裁量選択に属するところであり且つその信用するかしないかの理由は判決に示す必要がないから、これを示さなかったからといって違法の問題も起り得ないからである。ことに審理の範囲、限度は原審の裁量に属するところであって刑事訴訟法においては他の理由を伴う場合は格別単なる「審理不尽の違法」は上告理由たり得ないものであるばかりでなく、本件においては第一審以来強制若しくは拷問であるか否かについては多数の証人調を行っているのであって、これを審理不尽というがごときは全然事実に反する暴論といわなければならない。これを要するに多数説は論旨の主張しない経験則違反並びに審理不尽の違法を強いて創作するものであって到底賛同するを得ない。
裁判官沢田竹治郎、同井上登、同岩松三郎の少数意見は次のとおりである。
多数意見が理由ありとした論旨は、結局事実審である原審がその裁量権の範囲内で適法になした証拠の採否を論難し、延いてその事実認定を非難するに帰し、上告適法の理由とならないものと認められる。この点においては、斎藤裁判官の少数意見に全面的に賛同するものであるが、いささかその理由を補足したいと思うのである。
そもそも上告審は、原判決に法令違反あるか否かを審査する、いわゆる法律審であるから、事実審が適法になした事実の認定には当然拘束せられる。そして事実の認定は証拠によるのであり(旧刑訴三三六条、新刑訴三一七条参照)、証拠の証明力(細分すれば信憑力及び証拠力)は裁判官の自由な判断に委ねられているのである(旧刑訴三三七条、新刑訴三一八条参照)。このいわゆる自由心証主義の下においても、経験則や論理の法則の適用が全然排除されるものでないことは勿論であって、或る証拠により事実を認定するにつき、経験則若しくは論理の法則に背反することがあれば、その事実認定には法令違反があるものとして上告理由となり得べきことは多言を要しない。しかし、事実認定が経験則又は論理の法則に違反するといい得るためには、経験則上有り得ない事項を内容とする証拠を事実認定の資料に供した場合、若しくは証拠そのものは経験則上有り得る内容を有するものであっても、その証拠から或る事実を推断するに際し経験則又は論理の法則を無視した場合でなければならない。それ故、事実審裁判所の事実認定がその挙示する証拠により経験則及び論理の法則に従い肯定し得るものである限り、たとい当該裁判所が採用しなかったと認められる証拠が、形式上反対の事実を肯定すべく有力な内容を有するかのように見え且つ数多く記録に存在しているとしても、ただそれだけで直ちにその事実認定を経験則違反であると速断することはできない。けだし、証拠の証拠能力は、まずその信憑力のあることを前提とするものであるから、或る証拠が形式上如何に有力な内容を有するように見えても、それを裁判所が措信しないならば、その証拠の証拠力は皆無というべきである。そして証拠の信憑力はその証拠の内容そのものだけできまるものではない。例えば証言の信憑力はその供述の内容のみならず証人その人の人柄、その立場、その利害関係、その供述態度、その他諸般の事情により決定されるものである。のみならず、これら諸般の事情は截然と個々別々に証言の信憑力を左右するとは限らず、むしろそのすべてが渾然と綜合せられて信憑力に影響を及ぼすに至るのが通例である。さらに多数の証言相互間において、その信憑力の有無優劣を対比判断する場合には一層ことは錯綜し複雑となるのであって、その信憑力を決定すべき諸般の事情を一々論理的に分析して、その信憑力に及ぼした影響を個別的に判断することは、殆んど不可能なのである。ましてや、多数の裁判官で構成される裁判所においては殊にそうなのである。この不可能事を顧みず単に、一般に判断なる思考作用は三段論法により結論を抽き出し得るものであるとの見地に立って、裁判所が証拠の信憑力の判断をするに当っても、論理の法則に従い信憑力に影響を及ぼした個別的事由の確定を強要するようなことがあれば、それは事物の性質に反し証拠判断の正鵠を失するに至るおそれがあるであろう。法律がいわゆる自由心証主義の原則を採ったのも、実はこの点を考えてのことであって、従ってこの原則は少くとも裁判所が証拠の信憑力を判断するに当っては、その前提たる個々の理由を意識的に分析確定するのではなく、総合的、直観的に結論を見出し得べきことを許したものであり、この限りにおいては、論理の法則の適用から裁判所を解放したものということができるのである。だから合議裁判所において、或る証拠の信憑力につき判断をなすに当っても、これを措信すべきか否かの結論を決すれば足るのであり、その何故に措信すべきか否かの理由につき評決をする必要はないのである。この事は刑事訴訟たると、民事訴訟たるとにより特に差異を認むべき理由はない、否むしろ前者においては後者に比し更に一層強き意味においてこれを肯定すべき根拠があるともいい得る。すなわち民訴一九一条一項によれば判決には「理由」を記載することが要求せられている。ここにいわゆる理由とは判決のよって来る所以を意味すること勿論であるから、これを全く字義通りに解するならば、性質上証拠理由の一部に属する証拠の信憑力に関する判断の理由をも包含するものといい得るかも知れない。しかし、自由心証主義は、かかる理由の確定から裁判所を解放したものであることは前述のとおりである。従来大審院判例が証拠を措信しない理由の如きはこれを説示するの要なしとの見解を堅持していたのも、これがために外ならない。ところが刑事訴訟法においては右民訴法の規定とは異なり、有罪の判決においても、罪となるべき事実、証拠によってこれを認めた理由及びその事実に対する法令の適用を説示すれば足ることを明定しているのであり、ただ例外として法律上犯罪の成立を阻却すべき原由又は刑の加重減免の原由たる事実上の主張があったときに限り、特にこれに対する判断を示さなければならないとしているに過ぎない。それ故、個々の証拠方法につきその証拠能力、信憑力又は証拠力等に関し、如何なる主張がなされても、一々これに対する判断を説示することは、法律上要請せられてはいないというべきである。(旧刑訴三〇六条、新刑訴三三五条)。されば本件におけるが如く、被告人の警察での自白が、強制若しくは拷問によるものであるとの主張がなされた場合であっては、裁判所はもとよりこれが調査をなすべきは当然であるが、その調査の結果についての判断を説示しなければならないものではない。すなわち、かかる場合有罪判決を言渡すに当り、もしその自白を強制又は拷問によるものと認めたならば、これを事実認定の資料に供しないまでのことであり、また然らずと認めた場合には、何等その然らずとする所以を説示しなくとも、これを事実認定の資料に供することを防ぐるものではない。その然らずとする所以を説示しないことの当不当の問題はしばらくこれを措き、これを捉えて違法視することはできないのである。いや、むしろ事実審裁判所がかかる調査をなした上(本件においては原審はこの点について十分の調査をして、第一審が採用しなかった問題の自供を敢えて事実認定の資料としたのである。)、その自白を事実認定の資料に供したとすれば、それは却ってこれを強制又は拷問によるものとは認めなかったものと見るのが相当なのである。何となれば裁判所ともあろうものが、かかる調査を遂げ、その自白を強制又は拷問によるものと認めながら、なおかつ敢えてこれを事実認定の資料に供したものとは到底考えられないからである。この場合、その調査の結果として強制又は拷問を肯定するに足るが如き内容の資料があらわれたか否かは問題とするに足りない。けだし、それらの資料にして裁判所をして措信し得べきものと思料せしむるに足るものでなければ、その証拠力は問題とならないのであり、そしてある証拠を措信するか否かは自由心証の問題であり、しかも措信すべきか否かの理由に至っては、裁判所が有罪判決をなす場合においても、これを説示する必要のないことは既に縷述したとおりであるからである。それ故、所論被告人の警察における自白が強制又は拷問によるものであるやを疑わしめるような内容を有する若干の証言が記録上存在することは、多数説の指摘するとおりであるが、それらはすべて原審の採用しなかったものであること原判文上窺い知ることができるのであるから、原判決に多数説のいうような違法があるとは考えられない。多数説は「原審は果して右の如き警察官の証言をいかに判断したのであろうか。本件において記録を精査しても右各供述の真実性を疑うに足りるような資料は存在しないのであるから、原審が若し右各警察官自身の以上のごとき供述を以て措信するに足らないものとしたのであるならば、それは原審のいわれなき独断であって経験則に反する判断といわなければならない。……」というけれども、一体、如何なる内容の経験則があるというのか、この点必ずしも明確でないのみならず、われわれとしては、多数説の説示するような情況の下で所論警察官の各供述を措信しなければならないとするが如き経験則が存在するものとは考えられないのである。しかも原審が採用した聴取書記載の供述がなされたときに拷問が行われたという事実を窺い得べき証拠は何一つない。また右供述に際し被告人が殴打されたという事実についても、証人として調べられた警察官自身自分が殴打したという証言は一つもないのである。そして斎藤裁判官も指摘するとおり、拷問等の行為はなかった旨の証言も有るのだから、原審がその証言を信じこれを対照して多数説判文挙示の証拠を信じなかったとすれば、決して経験則に反したとはいえないのである。結局ただ記録で見たところ拷問があったらしいというだけのことになってしまうのであって、原審の専権に属する証拠の取捨判断を不当なりとして原判決を破棄するものに外ならないのである。多数説は上告裁判所として、自ら尋問の衝に当りもしない証人の供述の信憑力をただ記録にあらわれた供述の内容だけに基づいて判断することが許されるとでも考えているのであろうか。そしてまた或る証拠を措信すべきか否かの理由を有罪判決においても説示すべきことを強要せんとするのであろうか。果して然りとすれば、それは自由心証主義を採用した法規に背反して、事実審裁判所に対し、自らもなし得ないであろうところの不可能事を強いると共に、法律審の権限を逸脱して事実審の裁量に属する証拠の取捨を批判し、延いて事実の認定に干渉せんとするものであり、到底賛同することはできない。この事は、憲法の適用が問題である場合たるとその他の法令の適用が問題であるとにより差異あるものとは考えられない。さらに、多数説の考え方が許されるならば、本件におけると反対に事実審が被告人の自白を強制又は拷問によるものと認めこれが証拠能力を否定した結果犯罪の証拠がないとして無罪の判決をした場合において、検察官が強制拷問の事実を認むべからざる証拠の多々存することを主張して上告を申立てたときに、上告審で記録だけの書面審理によって原審の右認定を非なりとし、無罪の原判決を破棄し得る不当な結果をも招来することとなるであろう。
なお多数説のような理由で上告審の権限を逸脱し訴訟法上の原則に反し原判決を破棄することは今後数多くの訴訟において事実審の自由心証による証拠の取捨判断、事実の認定に不当な制約を加えることになりその事実認定を不自由ならしめる結果を生ずるおそれがある。のみならず本件においては問題になった聴取書を除いても他に被告人の有罪を認めしめるに足る証拠は有るのだから、原審が挙示の証拠中に司法警察官の聴取書を記載して置かなかったなら全然問題は起らなかったのだし、又記載しても多数説の挙げた種々の証言につきただ一言これらの証言は供述当時の態度等より信用できない旨を説示しておれば上告審としては全く手の付けようがなかったであろう。従っていま原判決を破棄して差戻してみたところで差戻後の第二審において右のような態度に出れば、結局事件終了が長引くこと以外何等の実益もないことになるであろう。更にまた最高裁判所が我々のような態度に出れば憲法の条文は空文に帰してしまうとか、憲法の番人たる最高裁判所の存在価値はなくなってしまうとかいう論を時々耳にするが、かくの如きは全くとんでもない話である。捜査官はすべて憲法違反の拷問等をしてはならないのであり、これを敢てすれば行政上十分の制裁がある筈であり、又刑法上の浜職罪として所罰を受けることとなるであろう。また一般刑事事件において第二審迄は拷問等の事実があったか否かにつき十分調査しなければならないのであり若しその事実があればこれに基く供述は証拠にとってはならないのだから、憲法の拷問等禁止の規定は決して空文になるものではない。唯上告審は事実審の証拠の採否の前提となった事実(拷問等)の有無につき法則違反(前記説明)のない限り原審の認定に拘束されるというだけのことである。原審が拷問等の事実を認めながらそれに基く供述を証拠にとれば無論破棄するのだし、原審の手続に憲法違反があれば(例えば審理を公開しないというような)破棄をするのである。更に法律審としてはどこまでも裁判の法律適用については憲法に違反するや否やを審理しまた、立法部、行政部の制定する法令の憲法適否についても審査するものであって、これが最高裁判所の主要な任務であり、実に重大な任務であるこというまでもない。唯わが訴訟法の立前から事実認定については特に法律で認められた場合の外原審の認定に拘束されるというだけで(警察で拷問されたか否かという事実はいわゆる訴訟手続に関する事実ではない)、そのために最高裁判所の存在価値が無くなるとか、裁判所自身の自殺行為であるというが如きは全く採るに足らない考えである。
(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 川村又介)